田瀬法律事務所の日記

2012年2月21日 火曜日

平成の世の仇討ち

前日、死刑判決が確定した大月死刑囚(全てのメディアで元少年を実名報道に切り替えたことから、このコラムでも実名にします)と被害者の夫であり父であった本村さんの関係を歴史上の仇討ちに例えたコラムを書きました。

大月死刑囚のケースは、先に示した日本三大仇討ちのうちの赤穂浪士の仇討ちに一番近い気がします。
赤穂浪士以外の二つの仇討ちは、ともに武士個人のプライドと矜持を賭けて親族の仇を討ち取った仇討ちですが、赤穂浪士の仇討ちはこれら二つの仇討ちにない側面があります。
ご存じのように、赤穂浪士の主君であった浅野内匠頭は、江戸城内松の廊下で吉良上野介に刃傷に及び、まともな取り調べも受けないまま、即刻切腹を言い渡されました。

江戸時代は、武士や町民を問わず争いが起きた場合は、双方に争いが起きた責任があるということで、紛争の原因に応じて双方に罰を与える、喧嘩両成敗という暗黙のルールがありました。
そのルールに従うなら、武士の御法度を破って刃傷に及んだ浅野内匠頭の切腹は当然としても、浅野が刃傷沙汰に及ぶ原因を作った吉良も、浅野と同じように切腹とはいかないまでも、幕府内部での地位の降格や一部の領地召上げなどの処分がなされるべきで、吉良もそれなりの処分を受けていたのなら、おそらく赤穂浪士の討ち入りはなかったというのが歴史上の定説です。
しかし、赤穂浪士のリーダー大石内蔵助は、仇討ちの主たる目的を、幕府が下した偏頗(不公平)な決定を広く世間に知らしめ、幕府の不手際を非難の対象にすることに設定したのです。

まさにこの時代の言葉で言うなら、「ご政道を正すため」に仇討ちを敢行したのです。

その結果、世間は赤穂浪士をヒーローとして賞賛すると同時に、幕府の最初の不手際に対する非難が高まり、幕府内部からも赤穂浪士は武士の鑑であるとして処罰すべきではないという意見も出て、将軍、老中など当時の幕府の最高権力者たちは、最初にしでかした不手際の責任を痛感させられる事態になったのです(最終的には幕府内部の多数意見に従って赤穂浪士は切腹となりました)。
まさに、大石内蔵助の目指した仇討ちの目標は、これ以上ない形で成就したのです。
本村さんの最高裁判所の判決直後の記者会見をテレビで観ながら、当方は元禄時代の大石内蔵助を観ました。
本村さんの事件からこれまでの活動は、時の政府を動かし、その結果、犯罪被害者に対する法的な配慮がなされるようになりました。
また、少年であっても事案によっては成人と同様の刑罰が課される司法上の道筋を作ることに貢献しました。
従来は少年というだけで、極端に凶悪な犯罪を犯さない限り死刑にはなりませんでしたが、これからは少年であっても、極端に凶悪でなく普通に凶悪な犯行の場合は、成人と同じく死刑は十分ありえ、例外的に劣悪な家庭環境が犯罪を犯した原因となったような特殊な場合にのみ成人と別に考慮すべきだという、言わば永山基準をより厳格化した新しい基準とも言うべき指針が示されたのです。
本村さんは、当初は無惨に殺害された妻子の復讐のために大月死刑囚を是が非でも死刑にしたいと思っていたはずですが、時を経るとともに、我が国の刑事司法のために活動をする気持ちに変化していったと思います。
それゆえ、本村さんの言葉は一つ一つが重いのです。
判決後の本村さんの記者会見で一番印象に残っている言葉は次の言葉です。
「人を殺めても反省して社会でやりなおすチャンスを与えることが社会正義なのか、命で償わせることが社会正義なのか、この答は永遠に見つからないような気がします」

法律の世界に身を置く者として、永遠のテーマを改めて突きつけられた気がします。

投稿者 田瀬英敏法律事務所(恵比寿の弁護士)

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